絶対絶命のときに出会う人こそ運命の人だと言えるのではないか!だからこそ最高と最悪の人に悟りは宿り、妥協した人、つまり、拒絶した人やあるがままに成りきれずに何も見ようとしないひとには何ももたらさないとを知るべきだ。
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2013年1月
2013/01/19 20:53:50
2013/01/15 17:59:53
この沈黙を誰も知るよしはないだろうよ!それはあらゆる宗教行為を為した無意味な人々に向けられることは、火を見ることより明かだからだ。しかし、虹の身体として解脱したものにとってすべては無意味だけどね! 2013/01/15 16:14:31
本性の善悪を根本的に問うことは、無意味たが、本性の善悪の根本が何も見えていないひとにとってその存在すら無意味であり、誰からも疎まれるだろう。まして何も真実を見えていないひと、いや何もリアリティーの本質を見ようとしないひとが何を語ろうとどこの誰が耳を貸すと言うのか?。 2013/01/12 16:35:23
何かを為すときに意図や計らいがあってはならない。それがもし、宗教的な行為や純粋な恋愛などに介入したなら本性すべてを汚す行為なる。つまり、罪の意識無しに罪を犯すことになる。それを知ることが絶対的清浄性を悟ることなのだから。それに対して畏敬の念もまったく持たないものがキリスト教的に言えば、天からの裁きを受けることになる。それを知ることは人生において有意義だと言えよう。それこそを本当の戒律や倫理道徳とすべきだ。問題とすべきは、多くの宗教は、人を裁くことに熱中して、なぜ真実の悟りを与えることに熱中しないのか?疑問だ。本当の真理真実を求める精神的宗教戦争は必要だが、なぜ宗教によって戦争しなくちゃ行けないのか?本当の意味が解る人にしか神仏は絶対に微笑まないのだから。 2013/01/02 19:11:46
真の継承者は、数人に限られている。その器にかなうものにしか秘伝は伝わらない。なぜならそれを本当に活かし生きた悟りを与える人にしか秘伝は行かないものだから。ダキニの許しなしにダキニが守っている教えを開くことは出来ない。その教えを保持し伝えることは非常に難しいのだから。 2013年癸巳歳元旦、今年もアトダタツマをよろしくお願いします! |
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