論書
サマヤ戒を破ったことによる越法における災難は、そのサマヤ戒に反した期間によって災いの程度が決定されるようだ。
一日
一月
一年
数年
10数年以上
その負債の基本が懺悔にあるのだが、修正不可能なときは、本人が所有する財物によってロハすることが可能だ。
しかし、このとき重要なのは、払い過ぎてもまったく足りない場合も宜しくない。それはともに与える側と受け取る側に災難が起きる。つまり、サマヤ戒を破った罪障が解消していないのだ。
正法ではない例えば、マーチン教団やそれに準ずる教団に財物や奉仕を布施したところでサマヤ戒の罪障を解消することは、決してない。むしろ罪業をさらに積み重ねるだけだ。(マーチンはこのサマヤ戒を破った代償として一家すら暴落させたのであった。その被害は多く出たようだ。しかしそれを告発したものは誰もいなかった。)
このサマヤ戒の解除方法がゾクチェンの口訣の教えの中にあったことは奇しくも皮肉であったといえよう。
サマヤ戒に反するとは、それは自らの清浄である金剛薩タである自性を汚しているのだ。
負債が個人の許容を超えた場合、家族にその負債が支払われることになる。本人の難病は自業自得であるといえるが、それが妻子や親戚や友人にまで問題が起きているとしたらこのサマヤ戒を破ったことによるカルマが生み出す不条理の現象だといえるだろう。
あるひとはこのサマヤ戒の浄化を怠り、オーラを汚したことで両親をともに亡くしてしまった人がいる。当人はそのことすら理解していない。自らが本来の自性であるところのあるがままに生きて来なかったことが大きな原因だ。
だからどのような手立てを駆使しても物事が良いほうに回っていかないとしたらこのサマヤ戒を疑った方がよい。
本来鑑定料金を安く設定している阿刀田達磨もそういう意味では、サマヤ戒をカルマの負債の浄化を妨げる原因となっている。かつて鑑定を受けられた方も無料でもし占ってもらった方々ももしこのサマヤ戒に反していると感じたならそのつけを支払わなければならないだろう。
占いを依頼してキャンセル料すら払おうとしない不届きものにサマヤ戒を論じても仕方がないのだが。
サマヤ戒を完全に浄化するには次の三種の修行が必要である。
自らの法性に目覚めること。つまり、法身を自らのものとすること。
自らの自性に目覚めること。つまり、金剛身である虹の身体を自らのものとすること。
自らの慈悲に目覚めること。つまり、慈悲心を自らの心の連続体に発生すること。
それには、虹の身体を悟ったグルとの血脈の深い繋がりと生きた教えの埋蔵経典の加持力がともなっていなければダメだ。
そして朝昼晩夜(睡眠)の四つの時間をすべて三昧に統合していくゾクチェン(アティヨーガ)の修行を行う必要がある。
かつてのゴーダマブッダの仏舎利をいくら祈願しても成仏のご縁があっても完全成仏することは難しい。なぜならそのグルとの血脈が薄いからだといえよう。つまり、我々凡夫の衆生とつながっていないのだ。だからブッダの説いた末世本尊成仏経の三福道のようにいくら三宝に供養しようと完全成仏できないそれは、埋蔵経典の加持力がもうすでに効力を失っているのだ。つまり、その時代を救う埋蔵経典法があるのだ。
だららいくら懺悔や浄化のマントラを唱えようと自らの法性・自性・慈悲心になにもヒットしないそれがすべての宗教が現代を救えない原因であるのだ。
現代を救うには、
自らの自性を完全に取り戻す「金剛薩タ意成就法」
自らの法性を完全に取り戻す「アティヨ-ガ(ゾクチェン)の奥義」
自らの慈悲行を実践しうる「憤怒蓮師密成就」
の三宝が現代の世を救う鍵だ。
なぜ現代の人々は、血脈も加持力もない無意味な教えによって着飾ろうとするのか?
それは似合わないブランドを着て自分が似合っているとさも満足して人々のようだ。
完全解脱できない次第を唱え、まったく自分に血脈とならないグルを根本グルと仰いでいるような人々に悟りも解脱をもたらされることはないだろう。
なぜ人々はリアルをみようとしないのか?
阿刀田達磨は、そのような教えや宗教や占い予言などまったく無意味だと感じたのだった。
愚弟 阿刀田 達磨 台湾にて真実のゾクチェンの埋蔵経典を発見する
阿刀田 達磨(たつま)は、新たな展開を見出すために楽曲に挑戦する。
オリジナル曲の作詞・作曲を手がけようとしているのだ。
どのような楽曲にするのか?
自分らしさの強調をしなければならない。
プロへの道だ。自己主張するしかない。
あるがまま・個である意味を主張することが人間のすべてだ。
ありのままのあるがままを曲に乗せる。或いは他のユーザーから譲り受けたものを融合する道がある。
マイフィーバリットギターとは、他者の作成したものを自分の好みに合わせてチョイスしたものに過ぎないのだが。
自と他の融合の作業 マハームドラから
ローカル情報をオールに乗せる作業 六大課へ
それが一番難しいテーマだ。なぜならほとんどの場合が自己満足で終わってしまうからだ。
ギターチョイスとギタースペックの吟味は終了した。その中からあるがままの自分の曲を引き出すことが、一番難題であるといえよう。
それにはまず自分をひけらかせるしかない。エゴでもよい。誰もが示さなかったもので勝負する独自性が必要だ。
つまり、それがゾクチェンの大円満の境地であれば可能かもしれない。
2009年 9月より 阿刀田 達磨(たつま)はアーティストを目指す
人と人との負の出会いは、煩悩のエネルギーの強度によって出会っているようだ。
とくに両者やあるいは一対多の関係において大きなトラブルを発生させるその原因は、その当時者の煩悩がどれだけの強度の煩悩を発したかで決まる。
それはカミナリや洪水や地震のようなエネルギーの開放に等しいのだ。
それによって莫大な被害や多くの人命が失われたとしても人間のカルマの負債である三大煩悩が戯れていたに過ぎないのだ。
そこには被害者も加害者も平等であり、煩悩が対象化して映し出した存在を有ると思ったときから結ばれた縁であったのだ。
そのカミナリのような膨大なエネルギーを浄化することも制御することは所詮不可能なのだ。
我々のエネルギーも大きな歪を生み出し続ければ次第に崩壊へと突き進む。
この目的を持たない三大煩悩を野放しにしておけば必ず、
離婚の危機、
家庭崩壊、
社会的犯罪、
難病、
伝染病、
環境破壊、
などの問題が多発する。
みな煩悩の無自覚によって起きているのだ。
煩悩を抱えた宗教、政治、事業、研究、芸術などはどのようなものであれ限界に行き着き崩壊するだろう。
そして人間は、自らの煩悩とカルマが引き起こした現象しか目に写らないのである。それ以外は、どんなものが戯れていても彼らの目の前に写し出されない。つまり、ブッタの顕現を見ることができないのだ。
それが人間が悟れない根本原因でもあるのだ。
マーチンは、人間の存在を波動理論という狭い概念によって解釈し、存在という波動をある固定した波動によって制御し、コントロールしようとした。
その理論は社会的権威をうまく利用し自説の正統性を主張していたのだ。
しかし、人間のもつ波動は、そんな単純なものではなかったので、セラミックが生み出す脳量子波のようなものは、本来のエネルギーの状態を散らし、掻き乱し、精神混乱状態を生み出すものだったのだ。
(そのセラミックをもつ人々と接触しただけで、我々のブッダの三身である脈管・ルン・ティクレが掻き乱され、三身がたちまち煩悩汚染されてしまうのだ。その汚染エネルギーの強度は凄まじい。これなら自他ともに癌や難病になってもおかしくないといえる。それらの信者の布教した外部のものたちにも同じ被害を起こしていたのだった。)
波動の速度が速いので、風水理論と同じように、一時的に外面が若返るような現象を生み出すが、結果的に精神も肉体もズタズタにする波動なので、最後は廃人同様となってしまうのだ。
(彼らが浄化と称しているものは、密教の一時的な変容の道によって偽りの顕現を生み出していたに過ぎなかったのだ。その術中に落ちてしまった者たちは、その偽りの清浄な顕現の中で受容と拒絶といった煩悩を思いのまま発生し、あいつは不浄だ。あなたは清浄だという幻覚を見せられていたのだ。そのようなものたちが虹の身体の悟りを得たブッダの虹の体を直接見ることなど不可能なのだ。)
この恐ろしい宗教兵器を野放しにするのは、危険すぎるといえよう。
セラミック 洗脳を生み出すでたらめのツール
教説 愚か者の教え(智慧の輝きをそこに見出せない)
サマヤ戒 脅しと脅迫
洗脳差別 信者同士のいじめの実態
これを語ることで、真実の宗教とは?
人間が本来目指さなければならない道とは?
すべての人々に語る。
対象に真実はない。それが真実だ。
この文字と言葉とこの真実の教えによって宗教根絶を果たす。
最後の聖戦である、
マーチン被害の全貌をせきだらに語り、
そこからの解脱を説き、
阿刀田 達磨は密教を否定し続ける。
なぜなら、密教は8乗の教えであって死んでバルドの中で解脱を果たす教えなのだ。
今即解脱する教え以外、阿刀田 達磨はその存在意義を認めないのだ。
彼が生み出した,
占い、
宗教、
恋愛、
仕事、
政治、
哲学、
思想、
芸術、
そしてすべてを統括する五術の教え、
さらに完全に勝利した二元論の輪廻を克服し、虹の身体の大いなる転移の悟りの完全解脱を成就したのだ。
だからこの大いなる憤怒の智慧を見くびるな。
これ以上善良なる人々の心を汚し続けることは、阿刀田 達磨は絶対に許さない。
我々思想マイスターは、思想武力介入を行使してでも戦う。
今なら言える誰も悟っていなかったというこの現実を。
これが最後の聖戦である阿刀田達磨のレッドクリフなのだから!
宗教根絶の教えを説き、すべての教えと限界概念を完全破壊する瞑想法こそブッタ釈迦が実際に行っていた滅尽定であったと阿刀田達磨は確信を得たからこそ、
今まさにこの魂意の叫びである宗教根絶教を唱えているのだ。
冒頭において、その魔教軍団の被害に遭われた人々にまず遺憾の意を表明致します。
そして未だにその魔教軍団の教えを信奉する人々に敬意を表明する。愚かであると。
これは真実の悟りに目覚めていないことが原因である。覚者、阿刀田 達磨こと、思想マイスターのブッタとなったダルマ大師からの緊急メッセージである。
それを受け取れるかどうかは、あなた方の修行段階、つまり、卍(スワテッカ)のブーミーによるのだ。
あなた方が勝手に信奉しているセラミックは、概念の構築物であって究極の悟りに至るどころか我々の五体である識・神・気・精・力の機能をバラバラに分解し、混乱状態に陥らせる洗脳宗教兵器と呼ばなければいけないほど危険なツールだと言わなければならない。
なぜなら、神の機能が乱れると社会的問題が多発する。これは太乙神数においても自らの誕生ポイントより凶方位を突いて事業や引越しを行ったものに現れる現象なのだ。この機能が混乱すると最悪の場合、精神障害を発症するのだ。
そして精の機能は財産、名誉、地位すらその宗教の教えによって損失を被っているはずだ。さらにその精の機能の混乱は癌などの難病を生み出す。そのセラミックの波動が本来の我々のあるがままの波動を混乱状態に陥らせているのだ。
挙句の果ては、気の機能である家庭や愛情でもある恋愛関係にすら混乱状態を生み出していたのだ。
これは明らかに合法的に犯罪と言わなければならないだろう。
つまり、そのセラミックは、識・神・気・精・力の混乱を来たすどころか、精神も肉体もズタズタにする非道極まりない宗教兵器だったのだ。
さらに驚くことにこれを生み出した現象の根本がその捏造したセラミックであるにも拘わらず、その現象を密教的祈祷によってもみ消そうとしていたのだった。
罪悪の原因を自ら捏造しさらに祈願といった二重の洗脳システムによって信者を支配していたのだった。
さらに驚愕ともとれる行為を行っていたのだ。信者同士を宗教差別していたのだ。つまり、そのある信者はエイズと同じような精神汚染しているのだからそれらと接触してはならないという非道ともいえる人種差別をも超える人として絶対にやってはならない幼稚ないじめそのものであったのだった。
そんなのある訳ないだろう。君たちが造りだした憑依現象である。つまり、魔教軍団は密教の変容の法を人を陥れるために悪用していたのだった。その被害を多く見聞きした。
それが教団の利益のために行使されていたというこの現実を誰も知らなかったのだ。
この無情な教団はオームすら超えている。こんな存在を阿刀田 達磨こと思想マイスターが絶対に許すわけがないだろうが!
阿刀田 達磨は憤怒尊となってでもガンダムマイスターになってでもその魔教を徹底破壊することだろう。
そのカルマの負債は絶対に支払ってもらう。なぜならば、それが自然の摂理であり、誰もそれから逃げることはできないのだ。
いい加減に悟りなさい。哀れこれが観音禅院の末路だったのか!
卑劣な洗脳を今すぐにでも遅くない解除せよ。煩悩を増大させるな。ただ宗教サギに遭った。ひどい目に遭った。などといって何の真実を悟らずに去っていったあなた方も観音禅院から一歩も進化していなかったのだとただ知るしかないだろう。
その現象は、愚かな者たちが写し合った煩悩汚染の強度が戯れていただけに過ぎなかったのだ。それでも魔の教え続けなさい。自らの手で自滅するまで。それがあなた方に課せられた悲しい運命だったのだから。
筆者は人と接するときは、自らの体験や相手のエネルギーの状態を考慮しながら、とくに人々の指導や鑑定にあたるときには細心の注意を払っております。
占いに来る方々や占いを習おうとする方たちには、問題を抱えている場合が非常に多いからです。
占いを魔法の杖のようなものだと勘違いしている人々や徳を積むことなしに風水や奇門遁甲などのテクニックによって何もかもが解決できると勘違いしている方々には占いの本質を伝授することはお断りしております。
また暗黙の了解であるかのようにそのような人望にかける方々は自然と筆者の前から去っていくようです。その多くは常識の欠如であるといってよいでしょう。そしてそのほとんどが不純な動機から占いに頼ろうとするものたちです。
そのような方々が学ばれた占いやその方々の占い鑑定では、占いが正しい判断のもとに行われることは決してないでしょう。むしろそのほとんどがその本質を歪められて占いの正当な評価すら失い兼ねません。
自らのエネルギーの混乱状態や心の穢れをそのままにしている限り、自分も他人も汚し、真実がみえないまま二元論の輪廻の中で苦しみ続けるでしょう。
自らが自分の心の汚れに自覚を持っていない。これがすべての根本原因です。
それを解決しない限り、どのような占いを用いてもどのような手立ても水泡に帰すでしょう。
それが我々が今置かれている甘くない厳しい現実の局面なのです。
占いはその自分の限界を切り開くためにあるものであって、自己の煩悩からでたカルマの実現のためにあるものではないのです。
何でも自分の思いどおりに、そして、他すらも自分の思いどりに支配しようとする。
その行為は完全に狂っているし、間違っている。その行為は最善の結果を生み出すことはないだろう。完全に心が汚れきっていますよ。
この辺のところを占い師さんも占いに行く方々も正しく理解していないようです。
阿刀田 達磨は、地球の人類の歴史を内観しながらこう呟きはじめた。
過去の宗教に依存していく人々、
何の変革もなしに今があると思っている人々、
我が身の安泰のみために他を排斥する人々、
謝金をしなければ国政を維持することができな人々、
自らの煩悩を燃やし、カルマのままに生きる人々、
今目の前に現れているものが未来に連結することだと見ていない人々、
真実を覆い偽りの中で生きている人々、
妥協とあきらめ、為すべきことをなおざりにしている人々、
誤った教えを信奉し、それすら理解せずに布教している人々、
自分の未来も世界の未来も見えていない人々、
人類を人を正しく導いていると錯覚している人々、
リアルこそ人間そのものであり、そのリアルを見ようとしない人々、
偽りの名声・地位・財産によって心眼が曇らされている人々、
有り得ないことを思い込みそれを得ようと突進している人々、
過去の恩を忘れ飽き足らずに他を求める人々、
飽くなき煩悩に翻弄されながら見境なく生きている人々、
妄念とエネルギーの混乱と対象に支配されながら自分を見失った人々、
その妄念を根源とした想いを完全根絶する。あらゆる妄念から生まれた宗教を、妄念の教えをすべて破壊する。今一瞬のそのときに生じる妄念と悪意、それこそをすべて止滅し、解脱させるところにあらゆる善なる教えは帰結するのだ。宗教根絶教が説くべき論点なのだ。
それが思想マイスター・阿刀田 達磨の決意だ。
阿刀田 達磨は法身の瞑想に入りながら次のように呟きはじめた。
すぐ尽きてしまう財産など誰も欲しがらない。
すぐにリストラに遭う地位など誰も求めない。
名ばかりの人望など誰が顧みるのだろう。
ときに移ろう人気を求める人々は何をみているのか?
絶世の美貌も容姿も今このときでのことでしかない。
世俗のそんなものは何もいらない。
マリクパが生み出した偽りの人生などもういらない。
煩悩の汚染によって自らも他も汚しきっている人生などもうやめよう。
病気・貧困・社会紛争・宗教問題のすべてはマリクパが生み出す顕現だ。
目覚めよ人類! 目覚めよ社会! 目覚めよ人々!
(一般の下世話な宗教は、地位を棄てなさい、財産を寄付しなさい、山に籠もりなさいというけれどそんなのはすべてうそっぱちです。なぜなら、煩悩はそんなことでは浄化も解除もできないからです。むしろその煩悩の対象が宗教や解脱に向かっているだけのことなのです。)
煩悩はとめどなく湧き出てくる。誰もそれを止めることはできない。
ある宗教家は煩悩を水草にたとえて常に抜き取れとはいうけれどそんなのは徒労だ。
煩悩の性質をまったく理解していない。そんな宗教家はいらない。
煩悩を智慧に還元する菩提心の教え以外に煩悩を乗り越えることはできない。
放棄の道も、
変容の道も、
開放の道も、
煩悩にアプローチするために説かれたが、それを誰も実践しなければ、何も変わりはしない。
自らが煩悩と対話しながら乗り越えよう思わなければダメだ。三日坊主とはそういうことなのだ。
阿刀田 達磨は常にこの煩悩と格闘している。
なぜなら、思想マイスター・ダルマダイシのファーストミッションはこの人類の負の遺産である煩悩の浄化と解除が任務であるからだ。
その鍵がリクパ(明知)であり、まず最初に『知恵のカッコウ』に目覚めるしかないのだ。
そこからすべての思想マイスターは出現するのであろう。
阿刀田 達磨 の金剛詩
すべての限界概念を払拭した。
すべての占い宗教すらも根絶した。
もうなすべきこともない境地にある。
それは法身と異なることなく、
すべてはあるがままに完成している。
後は虹となって空間に帰すのみ。
自ずと宗教根絶の教えがもたらした果であったのだった。
第六才子書 マメヒコ 西廂記のファーストシーズンがやっと完成しました。
セカンドシーズンは、恋愛百人斬りとなるでしょう。
恋愛における
誤解、
嫉妬、
驕り、
決別といった、
煩悩の妄念を燃やした恋愛がなぜ悟りに至れないのか?
それを写しだして行きたいと思います。
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