人と人との負の出会いは、煩悩のエネルギーの強度によって出会っているようだ。
とくに両者やあるいは一対多の関係において大きなトラブルを発生させるその原因は、その当時者の煩悩がどれだけの強度の煩悩を発したかで決まる。
それはカミナリや洪水や地震のようなエネルギーの開放に等しいのだ。
それによって莫大な被害や多くの人命が失われたとしても人間のカルマの負債である三大煩悩が戯れていたに過ぎないのだ。
そこには被害者も加害者も平等であり、煩悩が対象化して映し出した存在を有ると思ったときから結ばれた縁であったのだ。
そのカミナリのような膨大なエネルギーを浄化することも制御することは所詮不可能なのだ。
我々のエネルギーも大きな歪を生み出し続ければ次第に崩壊へと突き進む。
この目的を持たない三大煩悩を野放しにしておけば必ず、
離婚の危機、
家庭崩壊、
社会的犯罪、
難病、
伝染病、
環境破壊、
などの問題が多発する。
みな煩悩の無自覚によって起きているのだ。
煩悩を抱えた宗教、政治、事業、研究、芸術などはどのようなものであれ限界に行き着き崩壊するだろう。
そして人間は、自らの煩悩とカルマが引き起こした現象しか目に写らないのである。それ以外は、どんなものが戯れていても彼らの目の前に写し出されない。つまり、ブッタの顕現を見ることができないのだ。
それが人間が悟れない根本原因でもあるのだ。