グル 自らの最高のグル、つまりゾクチェンでは自らの普遍的な法性であるサーマンタバドラに当たるが、運命学ではその当人のただひとつの個体性を持った運命のそのものを指す。個体性を持った運命とは当人を完全に導くことができる最高の根本グルに他ならない。運命学には命と運の二つの要素によって今置かれて運命の状態を説明することができる。故張明澄先生が伝えてくださった『五術大法』の六大課の運命学は、自らの父母(ヤブ・ユム)の守護尊と明妃との関係を顕わにすることができる。自らの運命を論じ、自らの運命を見届けることは最高のグルヨーガであるといっても過言ではないだろう。
ダーキニー 空間のような存在であり、我々自らの普遍的で清浄な報身であるところの金剛薩タに相当する。自らの個体性を持った父母のダーキニーは、奇門遁甲における立向と座山が父母に相当する。ある方位を用いた場合においてあらゆる時間単位にそれぞれのダーキニーが存在する。故張明澄先生が日本に伝えてくださった『奇門大法』は、奇門遁甲によってこの不可視の父母のダーキニーの存在をロジックによって解き明かしたものであり、奇門遁甲は父母のダーキニーの曼陀羅図に相当するものなのだ。
デバ 護法尊。不可視の存在。自らの普遍的な化身である干渉(慈悲)エネルギーに相当する。自らの個体性を持った父母のデバは、風水の陽宅・陰宅に相当するが、それに対して地理風水における山地、平地、丘陵地、江湖、道路は、普遍的なデバに属し、個体性から見たその地理風水の具体的な対象物(惑星と虚星も含む)は、それぞれに父母のデバとの関係を顕わにする。故明澄先生の直伝の『風水大法』はこの様々なテバからの不可視の干渉のひとつ一つの情報を綿密に我々に説いてくださった埋蔵経典法といえるだろう。
ゆえに存在は自ずから生まれたときすでに成就してしまっているので、運命の命運や方位や風水や名前によって多様な顕現がその当人に生起してしまうだろう。しかし、それでさえすべて完全に完成した状態で我々の目の前に現れているので、もう努力することも願うことすらもなくすべては完全に完成してしまっているのだ。だからその中に無努力のままにとどまるという『リクパのカッコウ』の教えを今この時代に別の角度から写しだして説こうとする行為こそが個体性と普遍性の融合を説く新たなゾクチェン10乗目の教えを生み出すと阿刀田達磨は確信に至ったのだった。
阿刀田達磨のインタビュー
Q:占星術などの出会いはいつごろ、どんな時だったのでしょうか?
A:同級生の自殺が切っ掛けです。私は高校の三人もの同級生を彼らが自ら決意した自殺で失いました。その中に高校生のとき、一番仲の良かった女の子が自殺したことに一番ショックを受けました。
彼女と最後にあったのは一緒に鎌倉に出かけたことが最後の思い出であり、色々と恋愛の相談に乗ってあげたのです。だからさだまさしのグレープの曲を聴くと当時のことをすぐ想いだしてしまうのです。私の持っているマーチンD45のギターはまさにその哀愁を奏でるものだったのです。
しかし、彼女は自殺を選んでしまった。このどうしようもない不条理を現実的に受けて止めるには私は20数年の歳月を必要としました。それを切っ掛けに必死でその現象、つまり、死という問題に真剣に取り組み死を確実に説明できる占いとそれを乗り越えていける教えを求め続けたのです。
Q: フランス文学を専攻されていたのに、なぜ中国の占星術、五術・六大課を研究するようになったのですか?
A:私は高卒で上京し、学歴は高校生まででした。コックさんの修行を七年間しました。そしてコンピューター関係の会社に勤めながらいくつかの大学の聴講生をしていたのですが、30歳前後で自費出版した占いの専門書が専門家の間で有名になり、そのころから多くのプロの占い師が私に占いを習いにきました。占いの研究を本格的な学術研究にするために明治大学の当時、社会人入試というものがあったので、そこのフランス文学科に入学しました。私は英語が苦手だったので経験のなかったフランス語を専攻しました。しかし、後で解ったのですが、過去世回帰という瞑想方法によって私がフランスのモンサンミッシェルの司祭だったことが判明し、やっぱり過去世に引き摺られた人生だったのです。あるとき有名な霊能者の加藤和子さという人に出合って私が諸葛亮孔明と血の繋がった兄であり、小さいときに呉にある親戚のおばさんに養子にもらわれたということまで預言したのです。それが歴史書には呉の大将軍となった諸葛瑾という人物で日本でいったら大岡越前のような人だったようです。諸葛一族の子孫であったがゆえに占いは十八番だったことはいうまでもありません。
この大学を出たお蔭でいまその才能は、発表が間近に迫った携帯小説の姉妹作『マメヒコ西廂記』と『ギラギラ西遊記』で遺憾なく発揮されています。
Q:六大課とは、そして五術は哲学の思想のジャンルだったそうですが、いったいどういったものでしょうか?
A:それは五体三身論にそのルーツがあり、筆者の研究では、ボン教のゾクチェンの教えのシャンシュン・ニェンギューという教えの中にその原型が残されているようです。それが中国の伝統的な占いとして独自に発展をみたようです。
六大課には、三典と三式があり、私はその伝統を台湾出身の故張明澄先生に習うことができました。
三典は人間の内部にある隠れた情報を引き出し、三式は人間の外部にある隠れた情報を
写しだすようです。
三典とは、子平、卜易、演禽の三種で、子平は八字とも言われ、日本では四柱推命と呼ばれています。卜易はその子平で用いる八字と皇極経世と呼ばれる宋代の易卦で表記した暦から運命を計る卜易推命(紫薇というのもある)を行います。演禽は七政と28宿や36禽を用いるもので、これが七政と呼ばれる中国占星術です。
三典というものは、干支や易卦や実星といったその素材を何もいじらないで運命を判断していくので、それぞれの占術理論をもっており、その理屈がわからないと判断することができないのです。
これに対して三式は、その式を作るのに非常に時間がかかるので、式さえできてしまえば判断は瞬時にできます。この中の六壬は、昔の中国で、科挙の試験に採用されていた歴史があります。
三式は諸葛亮孔明で有名な奇門遁甲、六壬、太乙であり、それぞれが天の時、地の利、人の和をみるもので、奇門遁甲は、主に方位をみるもので、戦争のときの布陣する方位に用いられたようです。太乙は主に国家の時勢を占う測局や征伐する方位をみて、六壬は、戦争の成敗や人事を占うものであったようです。
五体論の識、神、気、精、力は、それぞれ中国医学の霊治、鍼灸、気功、漢方、整体に対応しており、三身論は、法身・報身・化身のブッタの様態(カーヤ)を指し、明知と無知の二つの顕現があります。意識が清浄な顕現であるとき、占いが当たったり、良い方位の顕現が現れたり、風水によって心身が健やかになり、中医によって病気がみるみる治っていく現象や素晴らしい本や優れた悟りを得ている人々と出会うというようなことは、その当人の意識が明知(リクパ)の境地にあるからです。
反対に無知(マリクパ)の意識にあると不浄な顕現である変な占いや変な宗教にかかわったり、医療ミスや難病を発症したり、家族トラブルや社会問題が絶えない顕現の中にいることになります。
三身論では当人の意識が無知(マリクパ)にあるとき、人は病を発症し、中国医術はその五体を本来の状態に戻す働きがあるようです。その根本は仏教や四部医典で説く、三大煩悩と五大煩悩である無知、怒り、貪り、嫉妬、驕りであるようです。
どんなに優れた占い師や医者や導師(グル)であっても問題を起こして自らの煩悩を激しく燃やして続けている人々を救うことはできないのです。それは彼らが問題なのではなく、トラブルの元凶である当人が煩悩を極度に発している顕現の中にいることが問題なのです。
私は五術六大課の核心はゾクチェンの教えの確信と共通すると考えています。ゾクチェンとは「まったき完成」「大円満」とも言われているのであります。
Q:占いの関して、当たる当たらないが取りざたされます。私としては悪いことは当たって欲しくないですし、良いことは当たって欲しいわけです。良い占い師を選ぶ基準はどんなところで選べばよいでしょうか?
A:占いが当たらないというのは「見解の中で行為を失う」というゾクチェンの教えにも共通する現象です。判断したことと現像が噛み合っていなければ、その見解が間違っているか、その見解の中に自分の意識がしっかりと繋がっていない二つの場合があります。見解が間違っていてはどのような占いであれその占いそのものに問題があるといえます。我々はそのような占いを勇気を持って捨て去らなければならないでしょう。
もうひとつは、見解が正しく入っていなければ、現象がどんなに当たっていようが、的中率が如何に高かろうが、その当人はその恩恵をひとつも浴びることができないのですから占いが外れたのも同然です。例えば大阪でブレイクする人が東京に執着してそのブレイクする地域やポイントをまったく使わないまま絶好のチャンスを逸してしまうような場合です。
問題とすべきは、それを伝達する導師、つまり、占い師に問題があっては何にもなりません。グルヨーガと呼ばれるすべての敬信を集めることができる本当に信頼できるグルでなければ、自らの重大な問題を相談する気さえ起きないでしょう。師を吟味することは占いもゾクチェンも究極の真実に到達するために欠くことができないテーマでもあるのです。
Q:一般人でも「日が良い、悪い」や「方位の善し悪し」を日常的に考えることができますか?
一番怖いのは、実星の方位に冲刑する方位に向かったとき、万人にすべてにおいて大きな災難に遭われる方が多いようです。
時間単位では、月の方位
日単位では、太陽、金星、水星の方位
月単位では、木星、火星の方位
年単位では、土星の方位
例外として土星と火星の方位は合でも凶となります。しかし、他の実星はテーマによって吉となることもあれば、凶となることがあります。
実星は、実際に我々の地球の天体に直接何らかの影響をリアルに与えていると古代中国人は感じたからだろうと私は考えています。
有名な奇門遁甲は術のレベルとして虚星といって実際の惑星を使っていないので、出るときと出ないときがあるようです。しかし、普遍的な不可視の地の利のロジックより導き出しているので、出たときはものすごい効果を発揮するようです。
太乙は最差というものを考慮した実星の方位であり、社会における個人の立ち位置の方位として顕現するので、七政と同じく軽視することはできません。
ゆえに太乙命理からみた出生ポイントより、今現在どこに自分が立っているかという問題は、太乙によってその人の社会的立ち位置の真実を写し出してしまうのです。
六壬に至っては個人差、テーマによって吉凶が決まるので、あくまでローカル的な個人の職業如何によってその利害の吉凶を写し出す方位といえるでしょう。
紫薇月盤方位は、我々がそれを用いることでどのような方面にどのように吉凶が出るかというものを写し出してしまうようです。例えば、父親が亡くなってしまって、止む得ず今やっている仕事すら支障となって田舎に帰らなければならないとき、そのような現象を紫薇月盤の方位は写し出すようです。
Q:セミナーでは「運命を解き明かす方法」「百人斬り」などを行っているようですが、人を占う時はどういった形で、運命がみえてくるのでしょうか?
A:六大課はよりリアルに運命を写しだしていきます。それは、七つの智慧の鏡といえるでしょう。人間の内面と外面の隠された部分を露わにしていくようです。
子平は、ブレイクする時期を、
卜易・紫薇は個人のブレイクする才能を、
七政は、ブレイクする方面を、
太乙は、ブレイクする社会的ステージを、
奇門遁甲は、ブレイクするポイントを、
六壬は、ブレイクする才能とパートナーを、
これを凝縮してみていく方法が「百人斬り」です。
「百人斬り」とは稲妻が落ちる瞬間のように人間の妄念を叩き斬るのです。例えば株を買っていいのか、借金までして買おうとした主婦の方に、それは明らかに間違っていますと彼女自身から解ってもらう方法です。それは彼女が本来行くべき道を指し示すのです。これはゾクチェンの直指教導そのものといってよいでしょう。
自分の本質と本来成るべき姿と今為すべきことを直ちに諭すのです。そこには人生の教誡ともいえる古代中国の智慧のエッセンが凝縮しているといえるでしょう。
それを受けたひとは、豁然と運命というものを悟ることができるでしょう。
Q:人の運命は決まっているものなのでしょうか?
決まっているとしたらその運命とどういう風に向き合っていけばいいのでしょうか?
A:人の運命の状態を説明することができるといえます。今どのような状態にその人が成っているかを説くことができます。逆に運命を特定することは非常に難しいといえます。運命を決めつけたり、断定したりしてしまうことは返って人間の無限の可能性をダメにしてしまうからです。私は人を占うとき、運命というものをできる決めつけないように努めています。
もし今運命が悪い状態にあるならば、それを克服していく智慧を古代中国の運命学はちゃんともっています。悪くなる原因をつきとめて改善策を練るのです。そこには風水や方位を改善することよって悪い運命の状態を修正する可能性も出てきます。
反対によい運命の状態にあるのにそれが成就していない場合は、それを成功させる方法もあります。例えば名前を本来の才能が引き出せるものに変えたり、ブレイクポイントが違っているなら太乙命理の吉方位を使って進出する方位や地域を変えるという手もあります。さらに強力なのは、奇門遁甲の吉方位を重ねて使っていくうちにブレイクする水準にその人の運勢を引き上げる方法があります。これは実際の昔の中国の科挙試験で使われていたようです。もし未婚の男女がどうしても縁談がまとまらないようでしたら、六壬の最高の和合時間によってお見合いするなり、デートする方法をお進めします。
以上の情報が即座に知ることができる「阿刀田達磨の開運カレンダー」を多くの方々の要請により2010年度のカレンダーを今作成中です。
つまり、今運命が限界だと思っている方がもしいらっしゃるとしたら、まだ手立てはいくらでもあると私はすべての人にそう説くでしょう。
Q:阿刀田達磨先生の座右の銘は
A:「智慧の輝きによってあるがままに生きる」です。
智慧こそすべての限界を超えていくことができます。運命学は智慧のエッセンであると言えます。自ら限界をつくることなく、あるがままの自分を見出すことです。そのとき、あなた方は必ず輝いて光っている筈だからです。
阿刀田達磨のインタビュー終わる。