我々はただひとつひとつ自分の目の前に現れたカルマの痕跡をあるがままに解き放っていけばよい。それを自らの光明の虹の光に還元していくこと、これ以外に今世で為すべき事などない。
リアリティーの本質を見誤って顕現を顛倒して見てしまった人々は対象に支配されながら自らの無明(二元的見方)が産み出した輪廻の幻影の世界を彷徨うことになる。
薫習からなる業風に駆り立てられて自らの脈管・ルン・ティクレを汚していることにも気づかない「生きたバルドの世界」を彷徨う無明の人々よ、今の自分を正しく覚る以外に苦悩から解放する道はない。
原初からの自らのラマ・イダム・ダーキニーの役割を今世で果たすことなく迷妄に陥った人々には迷いと苦悩の嵐に背中から追い立てられるだろう。
それは三宝(グル・デバ・ダーキニー)への敬信とその熱意を忘れ去ってしまったからだ。
勇気と清らかな気持ちを強く胸に抱いて清浄に生きていって欲しい。ときには対象に汚されてたじろぐことがあったとしてもそれらはすべて無明を基盤としたカルマが産み出した幻影に過ぎないし、それもまた法性が輝いた自性の光明であるのだから。
仏の三身を我が者として我が身に顕現させよう。すべてが真実を錯覚させて現れる、これが生きたバルドを彷徨う人々に与える教えなのだから。
解放は日常のほんの些細なことの中にある。笑ってしまうような出来事がつまり、カルマの負債の解放なのだから。物事に対して受容にも拒絶にも支配されない中庸の心をもって現実を生きて行く、これが我が道なのだから。
「根絶の道を説く」 阿刀田 達磨からの手紙