山道さん 掛川先生 ご苦労様でした。やっとひとやま越えましたね。しかし、これからがたいへんですよ。気を引き締めて善事にあたってください。
ところで阿藤大昇は蚊帳の外にありますね?という質問が来るかもしれません。しかし、それでよいのです。なぜなら私、阿藤大昇は、どの門派にも属していないからです。
それなのになぜ五術の心髄に到達したのかと問えば、学んだ原典や門派(明澄透派)がより純粋に正しかったというよりほかはないでしょう。
ゾクチェンにおいても私は、ニンマ派でもボン教徒でもありませんし、ゾクチェンのグルにも師事しておりません。そのような立場にある私がゾクチェンの究極の悟りである虹の身体の悟りに到達できたことに大きな意味があるのです。
私は、五術においてもリメー派(超宗派)であると自らのポジションを表明して置かなければならないでしょう。(しかし、それすらも概念の構築物に過ぎないのですが)
リメー派とは、ナムカイ・ノルブ氏の『ゾクチェンの教え(地湧社)』にこうかかれています。
19世紀、チベットには、各宗派の間に生まれてきた、イデオロギーの壁を取り除こうとするラマたちが出現し、思想の開放と交流を推し進めようとしたのである。彼らはもともとさまざまな宗派の出身だったが、すべて偉大なるゾクチェンの行者だった。本人たちは、自分たちはこういう存在だと定義する気などさらさらなったが、やがて人々は彼らを<超宗派>と呼ぶようになった。ゾクチェンの修行者にとっては<超宗派>という表現すら、他との中でその位置を示す言葉にすぎない。それは、言葉の枠の中に押し込めて安心しようとする心のはたらきから生まれてくるもので、無意味なものだ。
だからといって私は、ナムカイ・ノルブ氏や中沢新一氏ならびにゾクチェンを現代に伝える活動を行っている方々を軽視することなく、尊重し、尊敬いたしております。
問題は、当人が今抱えている問題をすぐに解決できる教えを現代の人々はもとめているのです。たまたま私はゾクチェンの教えによって救われただけのことに過ぎないです。
現代の人々には、すべての現象が堕落と退落のように見えるかもしれませんが、最善を尽くして戦っている名雄が居ることを、限界に挑戦して運命に挑んでいる英雄たちを、私は、賞賛せずにはいられません。
私が感動した『セム(中沢新一氏の翻訳による)』の『菩提心 金翅鳥タントラ』の最後にこうあります。
広大に拡大していくものの要点を、拡大の門を閉ざして、広大、安寧、快楽として決定する金翅鳥(ガルーダ)タントラの、大いなる広大の極みにたどり着いた、インドの学者シュリー・シンハと、チベットの翻訳者ヴァイローチャナが翻訳した。
この文章をイスカンダルさんと『虹と水晶』をあげた見習い占い師のレナちゃんに捧げます。
阿藤大昇ことシュリー・シンハより 心の深部が完全に氷結してしまっていた雪の女王さまへ