政治介入は宗教介入に等しいだろう。宗教根絶の宗教介入、ときには武装介入(護法尊による宗教的クーデター)も必要である。
我々は過去の誤った行為を払拭するための行動が必要だ。
人間は限りある概念の中に閉じ込まれており、そこからの開放と本質を剥き出しにして生きていくにはどうしたらよいのだろう?
人間は限りある概念の内で、人は苦しみの人生を強いられている。社会も会社も家庭も個人も、人間はなぜその中で完璧を求めそれによって自分も他人も責め裁かなければならないのか?
かつてチベットでパドマサンバァが行った宗教行使を現代において行使しなければならないだろう。
責任を追及してもよいのだけれど、その責任がもし社会自身が捏造し生み出しているものだったなら、ある特定の人々に責任を転嫁し、責任を取らせる行為は、理不尽の極みではないか?
そこに神も仏も慈悲もない。
そのような社会制度は一度壊してしまわなければならないだろう。政治制度や宗教などのあらゆる限界によって人間を規制しようとする行為こそが、その根本原因を作っているのではないか?
社会は狂っている。自己の利益のために弱きもの愚かなものを根絶し死に追いやっている。個人も狂っている。制限のない自己を表現するには、この社会の枠組みでは狭すぎる。ほとんどの人はそこから溢れ零れている。
政治は何をやっているのか?本当の政治に目覚めるときが本当にやってきたのだ。
理攻めや概念や理屈だけで世を救うことはできない。あなた(政治家)は、本当にそのことを悟っているのか?
多くのくだらない宗教や占いを蔓延らせてしまった社会の無垢なる歪みを正す、政治家、諸葛孔明のようなリーダーを社会は、今、本当に求めている。
当世の政治家は何も目覚めていない。
自らの利益だけのために政治を行わないでくれ!煩悩を解決していない政治家など世は誰も必要としていないのだから。
聖なる人々にこそ、それを預けることができる、ということを、それが政治の根本であるといえよう。
法身のグルヨーガ
報身のグルヨーガ
化身のグルヨーガ
そして加行(前行)は、我々の仏性を獲得するための唯一の希望となるだろう。
概念によってつくられた如来蔵思想では、本質まで辿り着けない。リアルに生きるとは、自らの根本グルを見出すことに他ならない。
未だそれを見出していない人々に告ぐ!思い込みは棄てなさい。そしてすべてのカルマ的顕現を棄てなさい。皆さんが見ているものは偽りに過ぎないものなのだから。