顕現や現象を覆すには、
まず対象に支配されてはならない。
相手の顕現の中に取り込められてもダメだ。
自分を主張し、相手が造り上げた概念の構築物などによって支配されてはダメだ。
それにはまず自分自身の概念の構築物が壊されていなければならない。
純粋な心、つまり、仏心、心の光明こそが人間の心の扉を開く鍵となる。
その心で周りの環境すらも三昧に統合していく。
そのとき、相手や状況がどのようなものであれ、悟っていようが悟っていまいが関係ない。すべてを三昧に統合したとき、すべては調和している。
なにも弄る必要はないし、なにをなす必要もない。
そのとき、敢てマハーヨーガやチューによってすべての魔を制伏することも魔を断ち切る必要すらない。すべては三昧の中で自然解脱していく。
これを悟ったひとにはもうゾクチェン9乗の教えすら文字で説く教えに過ぎないだろう。
教えのエッセンスのエッセンスは、広大無辺であり、どのような言葉も文字によっても表現不可能であり、その境地を体験したものこそそれを語り、伝達することができる。
すでにそこには宗教や教えそのものが根絶してしまっている。その概念すら必要ないのだ。
これが筆者が行おうとしているすべての宗教を根絶する宗教行使の教えなのだ。
いずれにせよ、虹の身体の大いなる転移の悟りを得ようが、得まいが人間は最終的には空間に消えていってしまうのだから世俗における成就に何の意味があると言えるのだろうか?
それを求めるのはリアリティの本質を見誤った蜃気楼を追う人々と呼ぶしかないだろう。
空間から子平の埋蔵経典が出現した。それは新たな子平門派の開示であり、それとともに新たな『滴天髄』『百章歌』をも超えた子平の誕生をここに宣言する。
というよりも、その実物となる子平埋蔵経典を発見した。今回の台湾旅行は、それを開くためのものであったようだ。
同行してくださった安さんに感謝申し上げます。 2009年7月15日 台北において 阿藤大昇