我々は、宗教介入を行う。それがお節介であろうがそれを行使する。これが本当の慈悲から発露したものであれば、だれもそれを拒絶することはできない。リクパはすべての無知を破壊していく。それを見ることなしに人生を歩むことは、無意味な人生といえよう。
なぜ自分のリアルを見ることをしようとしないのか。どこまで甘えるのか、自らを放棄し、責任を他に転嫁しようとする。なんて卑怯な無責任な行為なのか。だれもそれを叱ってくれなかったことが唯一、おなたの人生の落ち度だといえよう。
甘い汁を、だれかを知らないうちに犠牲に歩んできた自分を、すべてを他人せいに、自らが被害者だというように、あなたは生きてきたことに何の躊躇もないのか。
それが人の運命というものなのだ。悟れないのだ。すべてそのような状況をすべて自分が生み出していることになぜキズカナイノカ?
哀れ調和を自ら乱している、それは悪意にほかならない。
慈悲も愛すらも本当に目覚めていないものが、それを欲し求めている。しかし、一度も愛も慈悲も生じたこともない人々が、本当にパートナーを真剣に愛したことのない人々が、愛を語る資格などない。
単なるテロリストに過ぎない。宗教介入も愛がなければ、単なる紛争介入にすぎない。
なめるな、それは自分も他者もなめている。そこに尊敬も敬意も帰依もない。君たちは仏教が根絶した世界に転生したのか。哀れであるとしかいいようがない。