我々の意識は生まれたときから染みひとつもない真っ白で透明なオーラに包まれている。
しかし、我々は意識の使い方を誤ってこの清浄な自性である意識を汚してしまっている。
病気、災難、不幸はみなすべて自らの意識が生みだしたものであったのだ。
意識が穢されなければ、対象に穢されることはないし、むしろ対象すらも浄化してしまうだろう。
阿刀田達磨はすでにその境地(状態)に達している。
皆さん意識の使い方を見誤ってはなりません。
意識をオーラを穢すすべての原因は、我々の心の在り方や使い方にあったのです。
だから観察しよう我々の心の真実の状態を!?
我々は思考したり、何かを行動に移すときに自らのエネルギーを素直に何も弄らなければ、それは自然な光明となって何ものも何ものをも穢す対象にはならない。
しかし、そこに一点の疑いや曇りがあれば、快晴だった意識はたちまち曇り空のような暗雲に包まれてしまう。
私たちの意識とは日常の空間と同じものなのだ。
だからどのような空間(現象や顕現)が現れようとそこには浄も不浄もないのだ。
それを知ることが意識を浄化に導く最短かつ最上の道だ。
あるひとは同じ環境や同じ人々にあっているのにも関わらず病気になってしまったり、全然病気の症状はあったとしても病気にいたるまえに解毒してしまっている。
意識の穢れの極みこそ病気を発症する。しかし、それは煩悩の持つ意識を浄化する働きに他ならない。
だから病気は治して治るものではなく、意識を浄化して治るものなのである。
煩悩とは対象化しなければ智慧に変容し、我々を救う光の教えへと変容するのだ。
阿刀田 達磨より 災難の渦中や病床にあるすべての方々へ