すべての人々に阿刀田達磨のしばらくの間のブログの沈黙を許して頂きたい。
なぜなら、『チベット死者の書』によって阿刀田達磨は、自らの母親の死を魚座の白バラの葬迎によって送りだすところからこの物語ははじまったのだった。
それは達磨の母親が息を引き取ったその瞬間からはじまったことだったのだ。
母と息子は完全に繋がっていた。すべての穢れを息子である達磨は受け止めなければならなかった。
穢れの極地。達磨は母親と共に煩悩と業風と薫習に翻弄されるバルトの49日の苦悩の日々を味わったのだ。
達磨が今まで行っていたゾクチェンのテクチューとトゥーゲルの修行は、49日間はタイムポケットに落ち込んだように見解と行為がまったく一致せずすべては無意味なものとなってしまったのだ。その穢れは不浄な顕現としてすべてを暗く覆っていたのだった。
続く