現代は、宗教も占いも混同した混沌の時代であり、すべての衆生は、その時代の濁流に呑み込まれ、無意味な教えに翻弄されているがゆえに甘露である真実の教えに辿りつけない。
何を信じ、どのような教えの道しるべを辿れば、あらゆる迷妄を断ち切る無上の教えに出合えるのか? そしてその教えが指し示す遥か彼方にある悟りに行きつけるのか? 幾つかのアプローチと模索が必要だろう。
伝統的なプロセスを強調する教えは、現代人にとっては、かなりハードルが高いようだ。仏教は、まさに伝統を重んじており、密教はさらにその奥底に閉じ込められている。密教に関しては西洋の学者がタントラ仏教について多くの詳しい考察を公開しているが、密教は風水と同じようにエネルギーに関する知識が無ければ、理解も修行も不可能だ。当然ながらエネルギーを理解していない者が密教や風水を語ることはナンセンスなのである。
ここに新たなるテーマを起こそう。
子平による運命の直指教導
宗教の解体
占術の解体
運命学の命と運と教誡
運命の改善
時間と空間に関する教誡
風水におけるエネルギーの問題
新たなる教・律・論の構築
最終的には「ブッダとはなにか?」とその境地から得られる「現実を力強く生きる知恵とは?」を中心に人間の運命のありようを解き明かす必要があるだろう。
教えとは、すべての人々のハードルに合わせて説かれており、そのハードルの高さは、教えを説く人の見解によってみな異なっている。たとえば、顕教では何万劫の歳月を経ないとブッダになることはできないと説いているが、密教でも数回かの転生を経ないと解脱できないとしている。しかし、ゾクチェンでは、今の一瞬を悟っていればブッダであり、その認識が無ければ有情であると説いている。つまり、見解によっては誰でもブッダになる道が大きく開かれているのである。
占術においても見解によってまったく使い物にならない占いが多数ある。そんな占いを過大評価してその見解に従ってしまったら人生に大きな損害を与えることになるだろう。
今の現実に最も効果的で、今すぐ必要な教えを求めず、無意味な教えや無意味な占いの見解に従っているのが、残念ながら現代の我々の状況である。我々はまずこの見解のありようから基本的に学び、新たなる真実の見解を育てて行くことから始めることにしよう。