解脱には、解脱のさらなる解脱があることを一般の方々は理解していないようだ。
すべてが狂っているようなひとであっても極めて高度な悟りに至っていることを認めざるを得ない出来事に出会った。
私の言っていることを完全に理解できている人にであったのだ。
しかし、そのひとは、一般の人々からみたらおかしいとか狂人に見えるかもしれない。
もしかしたら、自分もその境地にあるのかもしれないと感じたのだった。
彼女は私が薦めた『ゾクチェンの教え(ナムカイ・ノルブ著、永沢哲訳、地湧社)』を精読していたのであった。
私が尋ねる、その本はどうでした? 彼女曰く、心が非常に穏やかになりました。
どうみても私からは、彼女は精神的にも身体的にも異常であるにも拘わらず、こころは、穏やかさを取り戻している。
おかしいとおもった。私は、彼女の精神と今顕現しているものがまったくちがったものに見えている。
こころは悟っているのに顕現は不浄のままだ。つまり、彼女の想念が生み出したものであり、現実生活へのあまりの不満が本人の精神状態や容姿を異常なものへと変容させているのだと理解した。
カルマの顕現とは、非常に恐ろしいと感じたが、どんなものが顕現しようも等しく空であることの如実なる真実を悟った。
彼女は最後にこう言った、問題を解決するために阿藤先生は、ゾクチェンを見出したのですねと、つまり、彼女は、ゾクチェンのテクチューとトゥーゲルの修行をすることで、私が到達した境地にたどり着けると直感したのだ。彼女は完全におかしな状態にあるにも拘わらず修行したくなりましたとつぶやいたのだった。阿藤先生、まるくなりましたねと。。。
道を見出したのである。彼女は自分の進むべき道を悟ったのだ。
そして私は、更なる虹の身体の大いなる転移に向けて遷化する決意をしたのである。