古の時代にある教えの伝授の血脈が効力を失ったとき、虹の身体の転生活仏であられた、ガラップ・ドルジェは、ゾクチェンの教えを地球サイクルに初めてもたらした。この現代に虹の身体の転生仏がもし再生しているとしたら、新たな教えが地球サイクルで説かれることを意味している。
釈迦の教えも密教の教えもゾクチェンの教えもそのような伝授の血脈によって伝統を保って来ている。
しかし、今の現代の意識の浄化と煩悩を解除する教えとしては、どれもみな役不足の感がする。
我々は、今起きている現象の変化において成長し、進歩しなければ、現代のこの状況を打開することは、無理なのではないか。
新たな伝授の血脈の教えの蘇りによって、息吹を、新鮮な息吹を取り戻す必要があるだろう。
転生活仏は、あらゆる伝統や血脈という限界を超えている。その教えが復活するのか、もしくは新たにより洗練された教えとなってゾクチェンの九乗といった教えのあらゆる限界すら超えた十乗目の教えが説かれてもよいのではないか。
現代のガラップ・ドルジェならば、必ずやその教えを広め、苦難にあえぐ衆生を救済する、つまり、利他を行うことだろう。
ゾクチェンの段階においても利他を行えるのは、虹の身体を悟った成就者に限られる。そうではない者の、その利他は、またその慈悲も供養も宗教行為ですらカルマを生み出す、つまり、苦しみの輪廻を生み出すものにすぎないのだ。
究極の世俗諦と完全なる勝義諦の統合が望まれる。ゾクチェンのエッセンスを中心思想においた五術六大課には、その限界を打ち破る可能性があるのではないか
いずれにせよ直接伝授以外にその最短の道はないだろう。(しかし、それはカルマの負債の大きな痛みを伴うが)