煩悩を放置したときに三つのプロセスによって自然解脱させることができるが、
チェルドルは、観察することによって解脱する。
シャルドルは、生じたとともに解脱する。
ランドルは、自然におのずから解脱する。
さて煩悩が解脱した後それはどのようにして知恵に変わるのだろうか?
トゥーゲルの修行でおこなう「四つの灯明(仙道でいえば一種の神功に似ている。)」の知恵のルンによって知恵の扉が開かれ煩悩は浄化され自然に知恵に変わっていくのだが、煩悩から出た不浄な顕現も浄化されると不浄な顕現が消えて清浄な顕現となって修行者の前に立ち現れてくる。
知恵は、本来、人が潜在的にもっているものであり、対象にふれたと同時に生じるので、ひとつのエネルギーとなって機能するようである。
人間の五大煩悩は、五大元素にも通じており、気のエネルギーに関しては、仙道において、対象化したものと捉えたならば、人丹のような房中術のように若い男女から生気を奪い取ることが目標となってしまうのだが、煩悩が知恵となり、それを対象化せず自らの原質のなかにそのような潜在能力があることを本当に理解したのであれば、若い男女を見た瞬間房中術というような行為に至らなくとも自らの潜在能力の原質を開示し、発動することが可能なのである。
まさに写し出された存在とまったく同じエネルギーと同化する、つまり、マハームドラの境地であるが、さらに一歩前進してそのエネルギーを発動することが可能となる。これが仙道でも説く不老不死の術であるともいえよう。(しかし、煩悩を完全浄化しないまま不浄な顕現とともに一体となってしまうとむしろ知恵を得るどころかその人の持つ有害な部分もシンクロしてしまうので新たな問題を生み出してしまう。これはマ-チンや密教が抱える問題ですね。)
知恵を対象化しなければ、五大元素の原質の純粋なエネルギーとなり、個人の身口意と宇宙に関連する天地人は、仙道が説く三寶の精・気・神に対応しており、そのエネルギーがそれぞれを調和することで個人的なゆがみや対家庭、対社会へのトラブルでさえ解決に向かい、さらに識も力でさえ鍛えられて強い心身が得られるのである。
つまり、煩悩は、自然解脱させた後に大いなる力となって我々を救うパワーとなるのである。
煩悩
知恵
エネルギー(虹の身体)
煩悩こそ実はブッダの行為であり、人類の救世主であったのだ。煩悩を知恵にそして偉大なパワーを開示すべきである。ゆえに顕教の教えのように煩悩を放棄したり、密教のように故意に変化させ弄ってはならないのである。
人と人との出合いは、まさに知恵を分かち合う存在であるようだ。優れた特性をもつ人やどうみても素晴らしい人、非常に魅力的で素敵な人との出会いは、敵味方や善悪さらには老若男女を問わず知恵と勇気を与えてくれる存在であり、2009年の年頭にあたり、多くの素晴らしい出会いをお勧めいたします。
「新春大斬り」にご参加くださったみなさま、スタッフのみなさま、お疲れさまでした。阿藤 大昇