~劉伯温の子平推命~
はじめに
『滴天髄』は、子平推命の完璧な秘伝書(ウパディシャ)として絶大なる名声を博しているにも拘わらず、その内容の心髄を本当に理解している人は、現代に於いてほんの僅かであることは紛れもない事実である。故張明澄先生の『滴天髄』の注釈が発表されて早、数十年が過ぎ去ってしまったが、その本質を悟った人、もしくはその血脈の伝統を現代に於いて正しく行っている人は果たして何人居るのかたいへん疑問である。門派の掌門は十年に一度この『滴天髄』に注釈し直す伝統があるという。故張明澄先生と筆者が初めてお会いしたときに語ったことがある。筆者が発見した最古のテキストの明代の劉青田、もしくは誠意伯劉伯温の著作とされる『滴天髄』を張明澄先生にお見せしたところ、この『滴天髄』の原典の信頼性と原文の正しさを高く評価していただいたことがあった。この伝統の血脈を絶やすことなく筆者なりの最新の『滴天髄』の注釈を世に出す必要があると想い、前回に発表した『三命奇談滴天髄』のタイトルを新規一転して改め、今現時点における最新の研究成果を土台とした『滴天髄』を世に問う必要があると考えた。劉基は、完全に腐敗してしまった中国の伝統を復興するために努力を惜しまなかったとされている。それもそのはずである。それはすべての人々に向けて「郁離子」というペンネームを用いて本当に腐敗した世を救済しようとした劉基の心髄の結晶であるこの『滴天髄』の本当の意味と価値を本書で紹介しようと筆者は試みた。
明澄透派の子平の源流は、宋代の子平創始者である徐大昇の『子平三命通変』の『百章歌』と本書の原著者である劉伯温の『滴天髄』の原典より派生しており、それを忠実に著わしたのが初代梅素香の『子平大法』や十代目の王文澤の『子平心得』であるが、しかし、それらの子平は、要点の粗大な部分を明らかにしたものであって、術法の大いなる完成状態に達していなかったのである。そしてその伝授の血脈において王文澤が発展させた最先端の子平は、より微細な見解によって理論展開を行ったのであるが、王文澤の『子平参禅(十六通変)』は、『滴天髄』の扶抑理論によって誕生しており、また最終段階の秘伝を説いた『子平修密(無学訣)』は、『滴天髄』の調候理論によって誕生したと言うことができる。しかし、その具体的な内容は子平の伝統的な古典である『百章歌』の格局究明方法に共通点がみられ、また梅素香が『子平大法』で批判した『欄網江』のような子平のように十干を命式の構成要素にあわせて季節ごとに分類して究明していった方法が十二分に発揮されているようだ。子平において扶抑と調候は車輪のようなものであり、どちらがかけても子平の最終的な結論に決して到達することは絶対にないだろう。つまり、扶抑と調候から映し出されるものは、子平が主張する格局と呼ばれる、存在のありのままの本質を投影するものなのである。
明澄透派の子平は、現代に伝授の血脈を完全な姿で世襲しているようであるが、現代においてその意義を問い正す必要があると筆者は考えた。というのもその真意が裏目に出て優れた術法は、時代が下るに従ってマニュアル化されてその真価を大きく見誤ってしまっているケースが多いからだ。伝授の血脈に問題が生じて来たのは、その術法における原典回帰の敬意を払うことを忘れてしまったからではないだろうか。筆者は門派を創ることにまったく興味はない。学問とは、学術とは、すべてに開かれてこそ、すべてを救う教えになるのではないだろうか。すべての秘伝は、劉伯温の『滴天髄』の手の内にある。なぜならすべての秘伝を生み出す土台がこの『滴天髄』の中に蓄蔵していることを新たな執筆によって筆者が改めて認識したことに他ならない。
『滴天髄』は、単に占いのロジックを明らかにしたものではなく、仙道が説く心体を構成する精気神におけるエネルギーの各レベルの質量を測ろうとしたのであるが、その機能を通変によって助気・洩気・奪気・殺気・生気といった具合に分類してその状態を体用・扶抑・損益・衰旺・中和・清濁・真仮・剛柔・順逆・寒暖・燥湿といった概念によって認識しようとしたのである。『滴天髄』で説く「人元用事之神」とは、まさにその気のレベルの微細なエネルギーのありようを説いたものであり、天元は神に、地元は精に対応し、仙道でも説くこの精気神の三寶を読み取ろうとしたのが三命と呼ばれる運命学の全貌なのである。個が対象化したこの三寶と心体(識力)のありようこそが我々が現実に生きている社会・家庭・個人の多様性の側面を映し出しているのである。『滴天髄』とは、まさにそれこそが天の精髄の滴であると主張するものなのである。
本書が子平運命学の学術的発展に何らかの布石となれば幸いであり、明澄透派の神聖なる伝授の血脈の新鮮な完全復活を切望するものである。
2009年 立春 阿藤 大昇