人間の根源は、三身と五体に集約され、厳密にはこの世に「心」しかない。そしてその心はその三身と五体を顕現されることができる。この三身と五体は、人間の存在そのものであるといえ、三身は、それぞれの存在次元を指し、五体は、存在の構成要素をあらわしている。
人間は常に他に依存して存在している。言い方を変えれば、二元的な見方によって「心」は存在する。
運命学は後者の五体の智慧のあらわれであり、リクパの智慧にあるとき、五大元素は、清浄な智慧に変わる。この五大を五音として捉えた、子平推命は、人間の存在を音、光、光線、つまり、三身と捉え、そのエネルギーが五大と混ざり、個性を生み出すと考えたのである。子平推命は、この五大の力量を計るテクニックをもっており、個人としてあらわれる運命のエネルギーにおける側面を計り占うことを可能としているのだ。
そのとき、仙道が説く、三宝の精・気・神は五大のあらわれの側面であり、この三者は、中国医療の方剤(漢方)・気功・鍼灸に対応している。占いでは、遁甲・六壬・太乙が対応している。
ゆえに、子平漢方術は、子平推命から計量する精神の状態から治療を試みたといえるのだ。そして神の不調和は、鍼灸によって調整し、精神の二つのバランスを取るのが気功治療なのだ。
この精・気・神の三宝は何らかの方法によって変容させることが可能なために仙道では三宝と呼ばれているのである。
これは身体内部や心の問題に有効であるが、人間の外部にあらわれる様々なトラブルには、三式と呼ばれる古代中国の占いよって対応したのである。
社会的な様々なトラブルは、多くは出生ポイントからどの地点を用いたかによって、大きな歪が生じるようである。それを占うのが太乙神数なのである。問題を生じるほとんどの人は太乙における凶方位を突いていることで発生している。反対に社会的に成功している人はまさにこの太乙吉方位を用いているのである。
人事関係は、六壬神課を用いてトラブルを未然に防ぎ、良好な和合時間を用いて、問題を小さくしていくのである。
奇門遁甲は、地の利を預かり、精力や気力こそが、財産、名声、地位を維持できる考えており、それを外部に顕現させることが、奇門遁甲なのである。これはある特定の方位やある形状からその財力や知力の状態を計り、また方位を使用することによってそれを補充していくのである。
このような占いの真実を誰もが顧みることがなかったため現代の占いは秩序を生むどころか、混乱と錯乱を生み出すものに成り下がってしまったのだ。
これは現代における深刻な問題であるともいえよう。運命学は特に原因の乗と結果の乗の二つ側面があり、原因を突きとめる方法とそこからの開放、解脱を説くことが本道であり、誰もが運命学の本道を見失っている。占いは単なる迷信ではなく、どんな占いであれ人間の本質が顕われ出たものに過ぎないのだ。そこに善悪も優劣もない。しかし、智慧の現われで誕生した占いや運命学でなければ、このリアルな現実を乗り越えられない。現実を甘く見てはならない。
そのためには自己顕現を観察するしかない。自分の顕現が智慧による顕現なのか、煩悩から生まれた無明の顕現なのかを明確に区別する必要があるのだ。そこにリアリティの本質が隠されている。それを見出すべきだ。そこに解脱、開放の鍵がある。