人間が生きるモードに二種類のモードがあるようだ。
ひとつは、煩悩を思いのまま発散させて生きる人々
もうひとつは、煩悩を一切出さずに智慧に換算して生きている人々
煩悩のままに生きる人々は、すべてを汚染していく、智慧で生きている人々にさえ、汚染していく。その最初の顕現は、脈管・ルン・ティクレの汚染だ。みんな息が詰まって、ぐずぐずする。喉がいがらっぽくなる。しかし、こんなのはまだ序の口で、電話で頭が痛くなる場合もある。アレルギーのある人は、その煩悩汚染で痒みが発生してとまらなくなる。お腹を壊すこともある。しかし、それだけではすまないのだが。(筆者のイベントの「百人斬り」をやったあとこの煩悩汚染で一週間声がでなくなってしまったのです、被害妄想だと思われるかも知れませんが、そいった現象はそれを体験したものにしかわからないようです。これが本当の煩悩から派生した現象であり、それを知ることができるのもひとつの智慧と言えるでしょう)
煩悩汚染の当人は、やはり自分の欲望のままに生きていらっしゃる方々ばかりだった。汚染程度の低い方々は、タバコやビールを飲むことである程度開放することができるが、うさばらしてタバコや酒を飲んでいる人々の周りは汚染でいっぱいになっていることを自覚しなければならないだろう。その極みが社会的な感染症や伝染病に発展する。そして個人ではエネルギーの不調和によってほとんど人が癌などの難病を発症している。またエネルギーの無秩序は家庭や人間関係においても問題を発生する。配偶者や家族を失う人にもエネルギーの放縦がみられる。そのみさかいのないエネルギーをコントロールしなかったことがその原因といえる。しかし、当の本人がそれすら認識していないのが問題の根本にある。これは深刻な現代の社会問題でもあるのだ。人間の吐く息がすでに周りを煩悩汚染しきっているという現実を知って欲しいし、その被害にあっている人々がいること認識して欲しい。(そいった現象につけこんで霊感商法をおこなっている人々もいるので注意されたし)
もし家族や知人にそういった現象が起きているようだったら、明らかに煩悩汚染による被害者だとみてよいだろう。
では、そのモードをどうやったら変えることができるのか。
仏教は、衆生の煩悩を鎮めるためにできた教えだといってよいかも知れない。
その方法には、
放棄の道
変化の道
開放の道
があるが、自然解脱の段階に至らなければ、煩悩を完全浄化することはできない。これはテクチューの段階で実現可能であり、さらに他者の煩悩すら浄化する段階に至るには、トゥーゲルの四顕現の段階にまで入っていないと無理がある。
このテクチューとトゥーゲルの修行を行うには三昧に熟知している必要がある。つまり、仏教が説く究極の到達点である三昧を経験するしかない。それには、師からの伝授が必要だ。
『ゾクチェンの教え』には三昧について次のように述べている。
「<真如>の境地の悟りは伝授をつうじて伝えられ、三昧によって深められる。師の役割は黄金を磨くための鉱物のようなものだ」。
たくさんの人々が自殺し、癌を発症しております。今すぐでも煩悩に目覚めてください。大切な人々がみな煩悩によって苦しんでいる現状を知ってください。
最も汚染度の高い職業に従事されている方々へ煩悩の災難には、自らの煩悩を自覚し煩悩を浄化することから始めようではありませんか。
阿藤 大昇