阿藤大昇のニンティク解釈編
心部 セムデ いかなる顕れも心であるという要訣によって、心は、自ずから生まれた知性として立ち上ったものであり、これより他に心はない。本来清浄なる心性は、空なるリクパとして決定し、すべての顕現(存在)を支配する。
界部 ロンデ すべての存在はクンツサンポの法界であり、我々が常に対称化する対称性(対称界)から離れるという要訣によって自らの意識を所作・努力のないリクパの状態に置くことで、自らのリクパが深み・輝きが双入していく知性によって自ずから解脱して虹の身体の金剛身を成就する。
教誡部 ニンティク 受容と拒絶を離れた双入・不二なる明知よって、輪廻・涅槃の一切諸法(多様性)は、「法性」である究極の空ですら掴み取ろうとしない要訣によって、二元性を超えたリクパそのものが法性のクンツサンポの界(ロン)として顕然と立ち上った後、自己のリクパが金剛の鎖の仏身として熟して、解脱に導くものである。
テクチューとトゥーゲルは、空性も輝きも執取することがない(セム・ロンすら超えた境地に)今一瞬の自己の無垢なるリクパ、これを広大無辺の戯れにおいて弛め放って、妄分別の顕れ、心の住・動のいずれにおいても善悪を見ず否定も肯定もさらには決定すらもなさず、裸のあるがままのリクパの空においてその境地(状態)を見届け見守ること、それがグル・パドマサンバヴァのダーキニーのニンティクの精髄であり、無上の精要だ。
つまり、セム・ロンの教えは解脱の序章に過ぎず、その解脱のエッセンスの究極であり、解脱の確信がダーキニーのニンティクの教えだったのだ。