解脱には、解脱のさらなる解脱があることを一般の方々は理解していないようだ。
すべてが狂っているようなひとであっても極めて高度な悟りに至っていることを認めざるを得ない出来事に出会った。
私の言っていることを完全に理解できている人にであったのだ。
しかし、そのひとは、一般の人々からみたらおかしいとか狂人に見えるかもしれない。
もしかしたら、自分もその境地にあるのかもしれないと感じたのだった。
彼女は私が薦めた『ゾクチェンの教え(ナムカイ・ノルブ著、永沢哲訳、地湧社)』を精読していたのであった。
私が尋ねる、その本はどうでした? 彼女曰く、心が非常に穏やかになりました。
どうみても私からは、彼女は精神的にも身体的にも異常であるにも拘わらず、こころは、穏やかさを取り戻している。
おかしいとおもった。私は、彼女の精神と今顕現しているものがまったくちがったものに見えている。
こころは悟っているのに顕現は不浄のままだ。つまり、彼女の想念が生み出したものであり、現実生活へのあまりの不満が本人の精神状態や容姿を異常なものへと変容させているのだと理解した。
カルマの顕現とは、非常に恐ろしいと感じたが、どんなものが顕現しようも等しく空であることの如実なる真実を悟った。
彼女は最後にこう言った、問題を解決するために阿藤先生は、ゾクチェンを見出したのですねと、つまり、彼女は、ゾクチェンのテクチューとトゥーゲルの修行をすることで、私が到達した境地にたどり着けると直感したのだ。彼女は完全におかしな状態にあるにも拘わらず修行したくなりましたとつぶやいたのだった。阿藤先生、まるくなりましたねと。。。
道を見出したのである。彼女は自分の進むべき道を悟ったのだ。
そして私は、更なる虹の身体の大いなる転移に向けて遷化する決意をしたのである。
ひとはみな煩悩と格闘しているようだ。
あるひとは自分自身にその全エネルギーをぶつけてしまうので、自分の身・口・意のみならず五大元素の空・風・火・水・地の各元素の調和すら破壊しようとする。
自分が投影する他の人々まで自分と同じような影響下に陥れようとする。しかし、当人がそう想っていなくても回りに与える影響は絶大だ。
(煩悩といものは、物資ではないので、煩悩が人の心身に与えるダメージは計り知れないものがある。特に難病を発症している人が発する煩悩は深刻な汚染を生み出すのだ。ときには、人のカルマに、つまり、運命にすら影響を与えてしまう場合がある。)
病人の心理のようにすべてが他人のせいだと想っている。一片たりとも自分に責任がないような振る舞いをする。これは、我執の極みである。しかし、この状況は、本人の思考が作り上げたものなので、だれもその状況を救うことはできない。
自分自身で自分を救う以外にその術はないのだ。宗教家も口では慈悲を説きながらそんなものは一度も湧いたことが無い現実に出会うだろう。救えないという現実を。
道を説くことができても救えるかどうかということは別問題だ。救われない道をいくら説いたところでくたびれもうけだ。
その道を信じてしたがったものは、みな蜃気楼や陽炎を追うようなものである。
自分が狂っていることに気がつくべきだ。煩悩の業火に焼かれみさかいなく生きていることを。
煩悩が尽きたとき、それは知恵の光に変わり、身体から光が発現するであろう。人間の本質は光であるので、煩悩が発現しないものは、虹の光が発現するようになる。
伝統や理論、つまり、概念による構築物などによって悟りに至るはずも無く、象徴手段によって悟るにしても誤っている象徴手段によって悟ることは絶対にありえない。
宗教というものが説く限界概念を打ち破るべきだ、人は本質が光っているのだから、だれであろうが、なにものであろうが、その存在を特定できるものなどないのだ。
なにものも棄てず、なにものも保持せず、すべては成就しているのだから努力の病いを棄て去り、あるがままの存在にとどまるべきだ。煩悩は毒を生み出す、人生や人を害するものとなる。
煩悩は、意識が三昧の境地にあるとき、すべての効力を失い無毒化する。煩悩は自然に消滅する。どんなにすざましい汚染に遭って心身がズタズタにされたとしても三昧にとどまり続ければ、どんな業火であれ、錯誤であれ、すべてはあるがままに融解して無に帰していく。
この煩悩の真実のありよう知ることが無ければ、そしてゾクチェンが説く『菩提心』の教えに依らなければ、劫の果てまで進んだとしても真実の悟りに、つまり、ブッタの境地を体験することはできないであろう。
世の中に人の煩悩を受信できるものが存在することを、煩悩の被害に遭いながらも煩悩の痛みが解かるものが存在することを忘れないで欲しい。
すべての人々に告ぐ、無明に塗れた煩悩に覆いつくされてはならない。煩悩を乗り越えて生きて行って欲しい。
山道さん 掛川先生 ご苦労様でした。やっとひとやま越えましたね。しかし、これからがたいへんですよ。気を引き締めて善事にあたってください。
ところで阿藤大昇は蚊帳の外にありますね?という質問が来るかもしれません。しかし、それでよいのです。なぜなら私、阿藤大昇は、どの門派にも属していないからです。
それなのになぜ五術の心髄に到達したのかと問えば、学んだ原典や門派(明澄透派)がより純粋に正しかったというよりほかはないでしょう。
ゾクチェンにおいても私は、ニンマ派でもボン教徒でもありませんし、ゾクチェンのグルにも師事しておりません。そのような立場にある私がゾクチェンの究極の悟りである虹の身体の悟りに到達できたことに大きな意味があるのです。
私は、五術においてもリメー派(超宗派)であると自らのポジションを表明して置かなければならないでしょう。(しかし、それすらも概念の構築物に過ぎないのですが)
リメー派とは、ナムカイ・ノルブ氏の『ゾクチェンの教え(地湧社)』にこうかかれています。
19世紀、チベットには、各宗派の間に生まれてきた、イデオロギーの壁を取り除こうとするラマたちが出現し、思想の開放と交流を推し進めようとしたのである。彼らはもともとさまざまな宗派の出身だったが、すべて偉大なるゾクチェンの行者だった。本人たちは、自分たちはこういう存在だと定義する気などさらさらなったが、やがて人々は彼らを<超宗派>と呼ぶようになった。ゾクチェンの修行者にとっては<超宗派>という表現すら、他との中でその位置を示す言葉にすぎない。それは、言葉の枠の中に押し込めて安心しようとする心のはたらきから生まれてくるもので、無意味なものだ。
だからといって私は、ナムカイ・ノルブ氏や中沢新一氏ならびにゾクチェンを現代に伝える活動を行っている方々を軽視することなく、尊重し、尊敬いたしております。
問題は、当人が今抱えている問題をすぐに解決できる教えを現代の人々はもとめているのです。たまたま私はゾクチェンの教えによって救われただけのことに過ぎないです。
現代の人々には、すべての現象が堕落と退落のように見えるかもしれませんが、最善を尽くして戦っている名雄が居ることを、限界に挑戦して運命に挑んでいる英雄たちを、私は、賞賛せずにはいられません。
私が感動した『セム(中沢新一氏の翻訳による)』の『菩提心 金翅鳥タントラ』の最後にこうあります。
広大に拡大していくものの要点を、拡大の門を閉ざして、広大、安寧、快楽として決定する金翅鳥(ガルーダ)タントラの、大いなる広大の極みにたどり着いた、インドの学者シュリー・シンハと、チベットの翻訳者ヴァイローチャナが翻訳した。
この文章をイスカンダルさんと『虹と水晶』をあげた見習い占い師のレナちゃんに捧げます。
阿藤大昇ことシュリー・シンハより 心の深部が完全に氷結してしまっていた雪の女王さまへ
先日行った座談会での内容を少し紹介しましょう。
徐大昇の百章歌とは、以下の通りです。
『百章歌』
天地人元分五音 陰陽妙訣果其真
去留舒配還参透 不若先賢禍福深
天・地・人元は、五音に分け、陰陽の妙訣は、果たしてそれ真、
去留舒配は、また参り透る、先賢不若、禍福深し。
六格陰陽成造化 天機此事莫軽傳
只知古聖玄中妙 静裏乾坤不可言
六格の陰陽は、造化を成し、天機此の事軽く伝える莫れ、
ただ古聖の玄中の妙と知れ、静の裏に乾坤、言うべからず。
三元休失中和気 定看栄枯転意深
識得子平軽重法 方知此訣値千金
三元は、中和の気を失うなかれ、定め看る栄枯、意転じて深し、
子平の軽重の法を識り得れば、まさに知る此の訣、値千金。
立法先定生和死 次分貴賎吉和凶
術経妙理無多説 謾把閑言任正中
立法が先に生と死を定め、次に貴賎、吉と凶を分ける、
術経は妙理で多くの説無し、謾把閑言は正中に任せる。
妙法只須三両句 無師伝授閂労心
其間有箇真消息 須要合人仔細尋
妙法は、ただ三両の句、無師伝授は、閂の労心、
その間の箇に真の消息が有り、須らく要す人合えば、仔細に尋ねる。
談教説透天機事 算尽虚言須是空
除却子平真妙訣 閑文手巻只如風
教を談じ説透れば、天機の事、算を尽くしても虚言は、須らく是れ空、
子平の妙訣を却って除けば、閑文手巻は、ただ風の如し。
一官二印三財位 四殺五食六傷官
七格局中分造化 高低貴賎幾千般
一に官、二に印、三に財位、四に殺、五に食、六に傷官、
七に格は、局中に造化を分け、貴賎の高低は、幾く千般。
年看祖宗興廃事 月推父母定留存
日宮専論夫妻局 時上高低定子孫
年は祖宗の興廃のことを看る、月は父母の留存の定めを推しはかり、
日宮は専ら夫妻の局を論じ、時上は、子孫の高低を定める。
ここからすべての子平が出発し、もちろん明澄透派の子平の源泉とするものなのです。この埋蔵経典であった原典の出現は、新しい子平のそれもより源流である子平がこの世の中に展開する証となることでしょう。
先日開催いたしました「座談会」が無事終了いたしましたが、参加され方々並びに参加できなかった方々に感謝いたします。ご足労いただいた山道さん、茶通並びにファイブアーツのスタッフの皆さま言説では語れない感謝をさせていただきます。本当にありがとうございました。
今から十数年まえに故張明澄先生にお願いしてご約束していた要件が有りましたが、その前に明澄先生が他界されてしまったので、その願いは、絶対に叶わぬものであると勝手に私自身が思い込んでいたのですが!
それもそのはずでありますが、明澄先生にご無理をいってなかば無理強い同然にお願いしていた明澄透派の秘伝の写本をください(先生からしてみれば、私をなんちゅうやつだと想ったことでしょう)とお約束していたのですが、このたび偶然にも故明澄先生の五回忌のご冥日に私の手元に与えられたことに絶大なる無上の感謝を冥界にいらっしゃる明澄先生にご敬服させていただきます。
なぜならば、
明澄先生は死してもなお私ごときものに、時間と空間を超えて、こんなにも貴重で素晴らしい写本を与えてくださったことに常識を破壊して無上の感銘感謝をいたします。絶対に有り得ない奇跡といってもいいと想います。これは聖衣星矢のストーリーに出てくるムーの師匠であった教皇のアリエスのシオンが冥界の王のハーディスの誘いにのってこの世に蘇えりこのような私に、その教えを説いてくださったようなものです。
ゾクチェンでは、これをタクナンとか埋蔵経典といって教えの伝承の意味を強調するために時間と空間を超えて真実の教えが物質次元の写本として出現する奇跡なのです。
私並びに御子神さんがこの役わりをはたすべきお役として指名されたようです。先代の王文澤氏に敬意と尊敬を込めて、もちろん故明澄先生のご冥福をお祈りし、成しえなかった大業のお手伝いをさせていただきたいと想っております。
御子神さんに、私は奇門遁甲の原典研究において旋転式と飛白式の二つの遁甲があると発表していたのですが、その写本はまさに私の研究成果を証明するかのように同じ結論に達していたのです。御子神さん曰く、「阿藤先生の説と王文澤の説が同じでした。本当に感動しました。そして正しかった」ということを彼が言ってくれたことに最上級の尊敬を感じました。師として間違っていなかったのだと!
『皇龍ソフト』の奇門遁甲の見解は、正統であり、この上なく正しく、間違っていなかったということがその写本は、語ってくれたのです。明澄先生に感謝するしかありません。
山道さん、掛川先生、諸葛きんは、無努力の教えで、がんばります。どうぞよろしくお願いいたします。
敬具 吉日 火焼赤壁(レッドクリフ)にて、諸葛きんより 阿藤 大昇